Publications by Kyoto University Researchers
なぜ私たちはいきていかねばならないのか
「絶望することにも絶望するとき、私たちは『幸福という神秘』に包まれる」 ――中島岳志 氏 推薦!
「不幸なのに、どうしようもなく苦しいのに、死んだ方が楽であるのに、 なぜ生きていかねばならないのか?」 ……そう問う人に、あなたならどう答えるか。
身近な人の死や貧困、いじめ、そして大きくは戦争や自然災害など、この世は苦痛や痛みで溢れている。 もちろん、比較的幸福な人生を送る人も少なからずいるだろうが、その人たちとていつか不幸に陥るかもしれない。 そもそも他人から見て「幸福」な人生であったとしても、「何のために生きているのか」という人生の意味に悩まされるのが人間だともいえる。その点で、幸福と人生の意味とは密接に関連している。 では、いったい幸福とは何か? 人生の意味とは何なのか? 本書は、そうした問いに哲学の観点から答えようとするものである。
人は誰も「不幸の可能性」から逃れられない。 「どうせ死ぬのだから、人生は無意味だ」ということも、哲学的には正しい。 しかし、その「絶望」を超えて、なお人生が生きるに値すると示しうるならば、それはどのようにしてか。 パスカル、カント、ウィトゲンシュタイン、ネーゲル、中島義道、長谷川宏、船木英哲ら古今の思想家やトルストイ、カミュ、中島敦ら文学者の言葉を手掛かりに、私たち一人ひとりが人生と向き合うための思考の軌跡を示し、哲学の新たな可能性を拓く。
ー前書きなどー 本書は「幸福」と「人生の意味」を哲学的に考察するものです。話の全体の流れをあらかじめ述べておきましょう。 本書の前半――第1章と第2章――は「絶望」が通奏低音になります。誰でも簡単に幸福になれる、などということはありません。努力は必ず有意味に実を結ぶ、ということも単純には言えません。国家や歴史に身を捧げることが人生を有意味にする、という見方も決して絶対的ではありません。そうではありませんか。すなわち、実際に、人生は苦悩で満ちみちており、何をしたところで根本的には虚しいではありませんか。ひとはしばしば、かりそめの幸福感を得るために、こうした自らの「悲惨さ」から目を逸(そ)らします。しかしながら私は、それは不誠実だ、と言いたい。私たちは自己欺瞞に陥(おちい)らないためにかかる不条理な現実をしかと直視せねばなりません。ある意味で、幸福なひとはいない。そして同時にある意味で、どのひとの生も無意味であるのです。 本書の後半――第3章と第4章――は、相変わらず抜け出すことのできない絶望を基調としつつも、そこから目線を「上に」向けたいと思います。惨めに見捨てられた私たちであるのですが、上を向けば空が広がっています。地上的なものはたしかに地上的であらざるをえないのだが、雲の向こう側にある何かしらの星が、夜を夜としながら、私たちを照らしています。――私は本書において、こんな具合の人生の意味を、同じくこんな具合の幸福を、「語り」たいのです。
おそらくは、「幸福」や「人生の意味」ほど、多くの者を惹きつけてきた哲学上のテーマもないだろう。近年、日本語で書かれたその入門的な著作が相次いで刊行されているところでもあるが、それらのほとんどは、哲学・倫理学の学説でガチガチに固められた「学術書」か、学説などお構いなく著者の(安易な)経験論に裏打ちされた「自己啓発書」かの二つに一つである。本書はしかし、その意味でどちらの部類にも属さない。
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