快の錬金術 : 報酬系から見た心 (脳と心のライブラリー )

快の錬金術

報酬系から見た心

脳と心のライブラリー

単著
心理
医歯薬・生命
岡野憲一郎(教育学研究科 / 著者)
Kenichiro OKANO (教育学研究科, 著者)
出版年月
図書体裁
四六判
出版社
岩崎学術出版社
ISBN
9784753311248
定価(税抜)
2,500
頁数
256
本文言語
日本語

内容紹介

【はじめにより抜粋】人の脳は、他の人にとってはどうでもよかったり、苦痛にさえ感じることを、快という純金に変えることができる。収集癖がある人や、オタク系の人を見ていると、それがよくわかる。他人にはその良さが一向にわからないものを集め、彼らはそれを生きがいにする。
 私たちの中にいる快の錬金術師が最も腕を振るってくれるのが、家事かもしれない。掃除洗濯、食器洗い、ゴミ出し。家事に携わる主婦や主夫たちの多くが、洗濯機が回っているのを眺めることに快を感じ、洗濯物を物干しに整然と隙間なく並べることに心地よさを見出す。もし家事が心地よさや快に結びついていないならば、汚れた洗濯物や食器やゴミは山のように溜まる一方だろう。いわゆるゴミ屋敷はその究極の姿かもしれない。報酬系は私たちの生活に欠くことのできない退屈な単純作業を喜びという金に変えてくれるのだ。なんとありがたいことだろう。
 しかし人を幸せにしてくれる錬金術師は、その人をときに破滅に導くこともある。アルコールを嗜まなかったときは、ただ透き通って少し色のついた液体だったものが、それなしではいられず、またそれに溺れるものへと変化してしまう。純金どころか毒を生み出すのも人間の脳なのである。
 ともかくもAさんのエピソードから書き起こすことで、本書の趣旨を少しはご理解いただけたかもしれない。本書は私がこれまでで一番書きたかったことをまとめたものである。それは次の疑問に答えるためのものだ。
 何が人を動かすか? What makes a human being tick ? (人間という時計の針を動かすものは何か?)
 これは私が物心ついて以来持ち続けている関心事である。人を見ながら、そして自分を見ながら「どうしてこんなことをするんだろう?」と素朴に思いをめぐらす。そんなことを私はごく幼少のころからいつも考えていたと思う。心を扱う仕事(精神科医)についてからもずっとそうである。私の治療者としての一言に相手が喜び、失望し、いらだつのを感じながら、そのことを問い続ける。ある薬を投与し始めてから顔色が急によくなり、話し方が違ってくるのを見て驚く。若者がある書を読んで突然発奮して夢を追い始めるのを見て考え込む。そしていつも行き着くのは、「快、不快」の問題である。
 私たちの脳の奥には、ある大事なセンターがある。それは「快感中枢」とも「報酬系」とも呼ばれている。そこがある意味では人の言動の「すべて」を決めている。心身の最終的な舵取りに携わるのが、このセンターだ。
 報酬系はもちろん人間にのみ存在するわけではない。おそらく生命体の最も基本的な形である単細胞生物にも、その原型はあるのだろう。しかしそれはおそらくドーパミンという物質が媒介となることにより始めてその正式な形を成す。たとえば原始的な生物である線虫の一種は、脳とはいえないほどシンプルな神経系を備えているが、そこにはすでに数十の神経細胞からなるドーパミンシステムが見られる。線虫(本書では第4章で「Cエレ君」という偽名で登場する)は快感を覚えてそれに向かって行動しているのだ!
 人を、あるいは生き物を、快、不快という観点から考えることはおそるべき単純化といわれかねない。しかしそれでこそ見えてくる問題もある。私たちが行う言語活動は、ことごとく快を求め、苦痛を避ける行動を正当化するための道具というニュアンスがあるのだ。そう考えることで私たちは私たち自身を一度は裸にすることができるのだ。その意味では本書が示す考えは、精神を扱うどのような理論に沿って考えていても、いったんその枠組みから離れ、より基本的な視点から捉えなおす助けとなると考える。

図書に貢献している教員