幸福と人生の意味の哲学

レビュー本

幸福と人生の意味の哲学

単著
哲学・思想
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歴史
山口尚(人間・環境学研究科 / 著者)
Sho YAMAGUCHI (人間・環境学研究科, 著者)
トランスビュー /

「幸福」と「人生の意味」はいかに示されるか

「綴葉」2019年10月号(No.381)より転載

おそらくは、「幸福」や「人生の意味」ほど、多くの者を惹きつけてきた哲学上のテーマもないだろう。近年、日本語で書かれたその入門的な著作が相次いで刊行されているところでもあるが、それらのほとんどは、哲学・倫理学の学説でガチガチに固められた「学術書」か、学説などお構いなく著者の(安易な)経験論に裏打ちされた「自己啓発書」かの二つに一つである。本書はしかし、その意味でどちらの部類にも属さない。これまで述べられてきた「幸福」論や「人生の意味」論の諸説に批判・検討を加えながらも、理念的な次元にとどまらず、私たちの日常生活に寄り添ってくれる。

本書は、本学の全学共通科目で論理学の講義を担当する山口尚が、「幸福」と「人生の意味」について、文学作品などの手頃な事例を参照しながら論じる著作である。誰もがそうありたいと願う「幸福」はなかなか実現しにくく、他方、人生が「何のために」あるかを問うたとき、その意味はなかなか見出しづらい。しかし、山口はここで「幸福こそが人生の意味である」と説く。人生に意味を与えてくれる特定の価値観を「狂信」するのではなく、あくまで自己の価値観を相対化し、その特殊性を自覚する「アイロニー」の姿勢で様々な価値観を疑いつづけること。その先で私たちが「すべてはあるがままにある」と見なせる超越的次元に至ったとき、世界内部の個別的出来事の成否に左右されない、超越的幸福が私たちを包み、「人生はあるがままの意味をもつ」のだ、と彼は言う。

本文中で山口が「幸福」や「人生の意味」といったものに向ける眼差しは、一貫しているとともにかなり独特なものでもある。というのも彼は、「幸福」や「人生の意味」に私たちが一筋縄で語ることのできない「超越」性を見出しているのである。この姿勢は、ウィトゲンシュタインの〈語りえず示されるもの〉に関する議論にも通じるものだが、同時にこのスタンスは、安易に「幸福とは......である」と結論づける、近頃の「幸福」論への山口の痛烈な批判にもよく現れている。したがって、この著作が「幸福」や「人生の意味」の何たるかを明確に述べ、あるいはそれらを指南してくれるようなことは決してない。ただしその分、結論まで含めて、このような概念に定義を与えない(せいぜい「幸福」とは「《人生はそのためにある》と言ってもいいくらい」のものと述べる程度である)議論の流れを、私たち読者は、かなり注意深く読み取っていく必要がある。

常体と敬体が入り混じる山口の文体(もちろん意図的に用いられたものではあるが)には、慣れるまで読みづらく感じられるところが多いかもしれない。しかし、常体で淡々と語ってしまうのではない、その(不器用な)語りに私たちは、自分の言葉で考えを示そうとする山口の「生きた声」を読み取るべきなのだろう。果たしてその声は、本書を手に取るあなたにどう届くだろうか。無論、その言葉の意味するところを「狂信」しては本末転倒なのだが。

レビューアー
八雲