第5回「本は2つのメッセージを持っている」―研究者向けの本と一般向けの本ー

堀部篤史
誠光社 店主

 「研究者が書いた本」について原稿を、というご依頼をいただき、ざっと店内の本棚をみわたしてみたが、よくよく考えてみればどこからどこまでが研究者による本なのかがわからない。奥付を開き、著者プロフィールに目を通してみれば、なるほど研究者であるという肩書は散見できるものの、それによって共通点や特色のようなものを見いだせるわけではない。反対に、著者プロフィール欄に研究者という表記がなくとも、いかにも「研究者が書いた本」らしい印象をうけるものもある。

 目についた本を棚から取り出してみよう。例えば、『イスラエルに揺れる』はモデルである著者がみずからの生い立ちからイスラエル文化を考察するエッセイ。『文字の食卓』は活字に魅了された文筆家が、あらゆる分野の書籍に使用された書体を取り出し、内容と文字の相性や機能を論じたもの。『黄色い部屋はいかに改装されたか?』は作家都筑道夫が本格推理小説の「おもしろさ」の構造を論じた著作だ。

 これらはいわゆる研究機関に所属することのない著者たちによる書物だが、「研究」の上に成り立った知的産物でもある。言い方を変えれば、ひとつのテーマを掘り下げ、言語化、敷衍している時点でその著者はある種の研究者だとも言えるだろう。

 ひと目で判別することができず、それによって分類しているわけでもないという意味においては、書店主である私にとって「研究者が書いた本」と「非研究者が書いた本」の違いはさほど重要ではない。一方で「研究者のための本」と「一般読者向けの本」の違いは歴然とあり、後者を選択することこそが選書の重要な基準となっている。

 商品として流通する以上、あらゆる書物はそこに書かれた内容以外に「誰に読んでほしいか」というメタメッセージを含んでいる。タイトルや帯の惹句はもちろん、装丁や本文レイアウト、使用される活字のポイント数がひとつ変わるだけで、その本が持つ印象は大きく変わる。自身の研究の成果をまとめあげることにしか興味のない研究者が書いた本であろうと、「一般読者向けの本」である以上、編集者の技術によって「誰に読んでほしいか」という情報が付与されているのである。

 本を仕入れ、読者に届ける立場である書店員は、内容を精読して説明することではなく、「誰に読んでほしいか」という編集・出版者からのメッセージをキャッチして自分の店の客層に合う本を注文し、そのタイトルが適した場所に配することで、さらなるメッセージを付与することこそが本来の仕事である。例えば、先に挙げた『イスラエルに揺れる』であれば、タレント本のコーナーに置くことも、旅行書のコーナーに配することもできる。しかし、それを比較文化論やユダヤ文化の本と共に並べることによって、その本が持つ潜在的読者を作り出すことができるのだ。「一般読者向けの本」は、著者一人で完結するものではない。

 例えば医学書院という医学書専門出版社がある。薬学や看護医療その他医学全般の研究所を数多く刊行する版元だ。刊行するタイトルの多くは医療従事者、または研究者向けの専門書だが、その中の「ケアをひらく」というシリーズだけは、ほかタイトルと大きく印象を異にするラインナップだ。著者には人間行動学や比較文化など各分野の研究者が名を連ねるが、その装丁はイラストレーションを使用したポップなものが多く、タイトルも『ケアってなんだろう』、『驚きの介護民俗学』など、専門分野を一般読者に易しく「ひらく」ことを意識した編集がなされている。「研究者が書いた本」であると同時に、「一般読者向けの本」でもある良い例だ。

 一方、「研究者のための本」には、そのようなメタメッセージを付与される必要がない。専門分野を学ぶ研究者がその成果を、同じ道を歩む研究者にシェアすることが目的であるならば、読者層は限定されている。その読者は著者とある程度の共通言語を持った人間のはずだから、専門用語を噛み砕き敷衍することも、著者特有の文体も必要ない。読めさえすれば問題ないのであれば、凝った造本も、読みやすい文字組も、その本に合ったブックデザイナーもいらない。共通言語を持ったもの同士が専門分野の知識や成果を共有するためには、ウェブや電子書籍が普及する今、書物である必要すらない。検索すれば自身の研究に必要な論文の一部を読むことができればそれ以上のものは不要だ。同じ興味を持った著者と読者で完結する、という意味においては「研究者による研究者のための本」は、コミケで手売りされる出版社不在の同人誌などにも近い存在ではないだろうか。

 逆説的に言えば、今後研究者が本を出版するとすれば、一般の人間に広く読んでもらう工夫が必要だということである。それには著者だけではなく、編集者やデザイナーらの協力が必要だ。「研究者が書いた一般読者向けの本」は、ウェブ上に情報が溢れ、誰もがパブリッシャーであり、著者となれる今、出版社と紙の書物の存在意義を証明してくれる存在になり得るのかもしれない。

著者紹介
京都市左京区出身。1996年、恵文社一乗寺店にアルバイトスタッフとして勤め始め、2002年より店長を務める。2015年同店を退社、独立し、同年11月京都市上京区河原町丸太町の路地裏にて「誠光社」をオープン。著書に『本を開いてあの頃へ』、『本屋の窓からのぞいた京都』、『街を変える小さな店』などがある他、『ケトル』、『アンドプレミアム』を始めとする雑誌連載、執筆活動も行う。
誠光社ウェブサイト http://www.seikosha-books.com