分解の哲学

レビュー本

分解の哲学

単著

哲学・思想

歴史

農学

藤原辰史(人文科学研究所 / 著者)
Tatsushi Fujihara (人文科学研究所, 著者)
青土社 / 2019.06

夜のほどろ 人文学の可能性のために

綴葉 2019年11月号 No.382

「分解」と聞いて思い起こすのは、たとえば海洋をただよう無数のプラスチックの破片だ。「マイバッグを持参しましょう」「地球環境に優しく」「ストローは禁止!」。そんな善なるかけ声が世界を席捲している。だが、〈人類と自然の調和〉がナチスの標語でもあったとすれば、どうだろう。食や農業にまつわる歴史を研究してきた藤原の最初の著書は『ナチス・ドイツの有機農業:「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』と題されている。自己欺瞞的な生命至上主義の呼び声を退けつつ、両者が調和する別様の道を探ること。本書もまた、その探究心に貫かれている。

「分解」や「腐敗」「発酵」の概念は、新品を礼賛し、流行に合わせた不断の買い替えをよしとする現代の資本主義社会を内側から改変するものとして注目される。「分解」とは、ものの属性や機能をはぎ取り、価値中立の状態にして、別の何かへの転生の可能性を秘めさせることだ。とはいえ、中途半端な存在にこそ価値を見る論法自体は、目新しいものではない。本書の特徴は、自然界の多様な生物が担う生態学的で科学的な本来の分解作用をも視野に収めることで、人文学の言葉による思考に確かな土壌を提供した点にある。

ファーブルが『昆虫記』で「貴い使命を担う」と紹介した糞虫、ダーウィンが晩年の研究人生を捧げたミミズ、内部はどろどろした粥状になっている虫の蛹......。著者は分解と生成の不可分な関係を、ありのままの腐敗臭や発酵音を行間に忍ばせつつ解き明かす。

もちろん、人間も登場する。壊れた車を愛するナポリ人、積んでは崩す積み木遊びに熱中する子ども、腐敗するロボットを小説に描いたカレル・チャペック、江戸・東京の町の屑拾い(バタ屋)。どの分析対象も興味深いが、評者がとりわけ刺激を受けたのは「とく(解く・溶く・融く・説く)」という言葉に関する議論だ。

言語学者の大野晋によると、「とく」には固まりを流動化させる意味があるが、「とき(時)」の語もここから派生したという。昔の列島人は「時」を、「存在するものが、ゆるみ流動して行くこととして把握し」た。実際「夜のほどろ」と言えば「朝」を指した。

藤原は、既存の盤石な諸制度を解きほぐした場所に、柔軟な共生の萌芽を見る。ちょうど、適度な水では固まるが、一定量を超えると土砂として流出する砂場での遊びに、結ぶこととほどくことが適度な手触りの中で一体化した分解のモデルがあるように。泥はまさに、多様な生物がこぞって分解作用に勤しむ祝祭の空間である。

工事中の道路で、少しの厚みのアスファルトの下に茶色い土があるのを見てふと驚き、どこかホッとする。スーパーに並ぶ「無菌工場」で生産された野菜には違和感を覚える。それは、腐敗と分解の道をたどる人間の肉体それ自体に備わった、ある根源的な反応なのかもしれない。「分解」の場の一員として世界を見渡してみれば、環境問題に処する新しい人文知も蠢き出すはずだ。

レビューアー
水絵

綴葉 2019年11月号 No.382, p.3