消えたヤマと在日コリアン

レビュー本

消えたヤマと在日コリアン

共著
地域研究
歴史
細見和之, 松原薫, 川西なを恵著
細見和之(人間・環境学研究科 / 共著者)
Kazuyuki Hosomi (人間・環境学研究科, 共著者)
岩波書店 /

消えたヤマと在日コリアン : 丹波篠山から考える

綴葉 2021年8-9月号 No.400から転載

人は生まれた瞬間に「出生地」を有する。ある者はそこで生涯を終え、ある者は余所へ移って行く。また別の者は余所からそこへ移って来る。畢竟近代以降、「出生地」とは「移動」との力学において考えざるを得ない。加えて当然ながら、ある者にとってそこは「忘れ難き」故郷であり、ある者にとっては「忘れたき」負の記憶の場であることだろう。そして著者の一人である細見が本書で試みたのは故郷の丹波篠山に埋もれた「記憶」を掘り起す作業だった。

細見による第一章「日本の近代と丹波篠山の歩み」には、社会思想史を専門とする彼の慧眼が光る。丹波篠山は兵庫県中東部に位置する人口四万人前後の地方都市であり、週末になれば旧市街にある篠山城跡は観光客の活気に溢れる。だが、細見が注目するのは無論故郷のこうした明るい一面ではない。彼は、この地に住まいながらも郷土史から抹消された「在日コリアン」に光を当てる。彼らの足跡を追うことによって、丹波篠山の近代史を読み解こうとするのだ。

明治末、陸軍歩兵連隊が誘致されると、この地の産業と商業は帝国と共に発展する。大正に入り、戦艦・砲身製造に必須の硅石が発掘されると、鉱山業(ヤマ)も盛んとなった。以降、硅石景気に湧く篠山に次々と労働者が移住するが、それは日本人だけでなく、日本の植民地支配によって土地も生活基盤も奪われた朝鮮人も多かった。彼らはやがて主要な労働力となったが、他方で当時の新聞を確認すると、「犯罪」を犯しがちな得体の知れない集団として「鮮人」は扱われていたという。細見はこれを、戦争遂行のために労働力という「実体」を奪取しながら、彼らを集団の「鮮人」として「記号」化する、「搾取」の最たるものと指摘する。こうして彼は、丹波篠山が「近代の暴力的な歩み」と軸を一にしていたことを示すのだ。

在日コリアンにとって、戦前・戦中の丹波篠山が「記号」としての存在を強いられる場だったならば、戦後は固有の「実体」を取り戻す場となった。第三章「丹波篠山における在日コリアンの戦後」は、言葉を愛しむ詩人細見が感じられる。戦後、失った民族文化を取戻すため、短期契約で公会堂を借り民族学校が篠山に設置される。だが賃貸期間を越えても学校は立ち退かなかった。後に作成された行政文書の、公民館が「一時期朝鮮人連盟に押収され」という文言に細見は注目する。「貸した」や「占領され」でなく「押収され」という言葉は、日本の朝鮮に対する責任、朝鮮人への眼差し、公会堂の被害者意識を絶妙に表現している。こうした複雑な感情に覆われた歴史にどう向き合うべきか。市民の一人として彼は願っている、短い間であれ彼らが学校を設置出来たことを「むしろ誇らしい記憶として捉え返し、次世代に伝えてゆくことができないものか」と。

「移動」を巡る問題は深刻化しつつある。私たちはよく同時代の世界と日本という共時的視座で問題を眺める。だが日本の過去と現在という通時的視座から見えてくるものも多いはずだ。

レビューアー
リンダ