第2回「机上の実論」-越前屋俵太から見た大学の研究者-

越前屋俵太

 柄にもなく、大学教員という肩書きを持たせて頂いて、そろそろ10年という年月が経とうとしています。35年程前、関西大学を途中で投げ出し、何もわからないテレビ制作の世界に身一つで飛び来んで20年、そこから突如、何もしない日々を山の中で過ごして丸5年、そこから大学教員生活を10年。若かりし頃には想像もしなかった想定外の出来事が私の人生で起こり続けています。自分の生き様がやっと面白いと思えるようになりました。あのままタレント業を続けていたら絶対に知らなかった世界を経験させて貰い、また絶対出会うはずのなかった人達と今を生きています。そんな私ですが、5年程前からは、大学で知り合った色んな先生方からのご紹介で、色んな学会に呼んで頂いて講演なんぞをやらかしています。そもそも学会なんて無縁な世界にいたので、最初は誰が何の為に、誰に対して何をしているのか、まったく意味がわからなかったのですが、5年経った今はどうかというと、やっぱり何が何だかわかりません!(笑)

 初めて呼んでもらった最初の学会は、山口県で開かれた人工知能学会で、なんと会場がお座敷でした。仕掛け学研究会の中で「仕掛けないという仕掛け」というタイトルで、僕が作ったテレビ番組の映像を見せながらの講演でした。ありがたいことに、いつもとは違う珍しい講演者にみなさん大爆笑でした。この時ご一緒させて頂いたもう一人の方が、京都大学で「不便益」の研究をされている川上浩司教授でした。終わってからの懇親会で何故か「僕も笑いがとりたかったのに、やられました!」と本気で悔しがっておられました。その時のご縁で京都大学デザインスクールのFBL/PBLの演習アドバイザーとしてお手伝いをしております。そんな人工知能学会を皮切りに、計測自動制御学会、日本デザイン学会、電子情報通信学会と様々な学会で招待講演をさせて頂きました。

*編集注: 越前屋俵太氏が想定外にプロデュースした京都大学デザインスクールの広報用写真

 

 日本デザイン学会の特別講演では、「しあわせをデザインする」というのが全体のテーマで、私の前に講演した先生は「幸せになろうと思って生きないとだめですよ!」みたいなことを仰ってたんですが、私の番になって、思わず講演中に「しあわせなんて、そもそもデザイン出来ないんじゃないですかね!」って言ってしまいました。しあわせになろうと思ってしあわせになれるなら苦労はしない。しあわせの定義なんて人の数だけあって、みんなそれぞれなんだから、それをアーダコーダ言っても仕方がないんじゃないか。しあわせってのはそのときそのときで一生懸命生きて、結果的に後であの時はしあわせだったなって思うってことじゃないのか。って、ある意味、前に講演された先生の真逆の事を言ってしまいました。

 思ってる事をはっきり言っちゃったので、やっぱりマズいかなと思っていたら、終わってからの懇親会の席で何人かの先生に、あの話はよかった。僕もそう思ってた。とか言われました。やっぱり色々あるんですよね。世の中には立場というものがあって、思っていてもはっきり言えない人もいる。その立場ってのが社会的信用なんですよね。だから大人になって、みなさん社会的地位を持てば持つ程、はっきりとものが言えなくなる。僕は大人になっても、言いたい事をはっきり言ってるから、いつまでたっても社会的信用がない!(笑)

 でもまさか僕が大学の先生になるとは夢にも思いませんでした。学生の頃、関西大学に想定外で入学して、想定外なテレビの仕事をして、そこからまた想定外の山籠り。その結果、最終的にまた関西大学に戻って客員教授。そして今は非常勤講師。そしてこの春から和歌山大学観光学部にも呼ばれました。和歌山大学では「日常生活が観光資源になり得る可能性」という考え方のもと、学生達と街歩きをしながら、普通のガイドブックに載っていないような、新しい観光の切り口を探しています。僕が、従来のテレビ番組によくある、有名なタレントさんを使ってスタジオで収録するのとは違った切り口で、街に出て番組を作っていたように、学生達を街に連れ出して、地元の人達と喋る事で新しい情報を得たり、また、そこからどう展開させていくのかという現場をみんなに体験させています。

 どうやら僕に求められているのは、僕が長い間、テレビ制作の現場で培ってきた現場感のようです。大学で教えてらっしゃる先生方は工学部系の方でなくても、どちらかというとエンジニアリング的思考、すなわち、理論的にものを考える思考パターンの人が多い。というかそうでないと論文も書けないし、ましてや重箱の隅をつつき合いする学会で発表など出来ない。僕はブリコラージュ。どちらかというと最初から計画性を持っていたのではなく、その辺りにあるもので、適当にやってきました。街ブラ企画なんてそのものです。偶然出会った人達とアドリブで番組を作っていたわけですから。その適当さ、すなわち柔軟性も学問には必要だったりするとうことなのかなと思っています。やっぱり先生方の頭は固い。当然固くないと考えられないとは思うのですが、やはりセレンディピティではないですけども、発見する為には色々な角度から物事が捉えられる柔軟性が必要だと思います。より深い専門知識と、それに囚われない自由さといいましょうか。そんなモノが必要な気がします。

 ただ、10年もの間、色んな学会に呼んで貰ったり、いろんな先生方とおつきあいさせて頂く中で、大学や先生に対する印象が少し変わりました。世間的には「机上の空論」なんて言い方をして、現場を知らない大学の先生が何言ってんだ!みたいなところが僕にも正直ありました。もちろん、僕は「現場の実論」派でした。理屈では説明出来ても、現場では理屈通りにはならないことを大学の先生も知るべきだ!とずっと思っていました。だけども、じゃあ現場で起こっている事実が正しいのか?というと連日の世間を賑やかしている報道を見ていてもわかるように、今の世の中のように仕組みが全てビジネス最優先になってしまえば、政治も商売も必然的に嘘をつかないといけなくなる。そんな中ではまず正論は通らなくなります。

 だからこそ、今の世の中で、唯一堂々と正論が言い通せるのが学問ではないかと!思うようになりました。でないと誰がいったい本当の事を言うんだ!と思います。混迷する社会を救えるのは学問ではないかと本気で思っています。目指すべきは、学者が理論を実践していく勇気を持つという事なのかなと思います。

 今の世の中は「現場の空論」になっている。だから「机上の実論」に期待したいです。そういう素晴らしい志を持った先生方は京大に沢山いらっしゃいます。僕が出来ることは、そんな先生のお話を少しでも一般の方々にわかりやすく伝えたいと思って、この春から「京大変人講座」のナビゲーターもさせて頂いております。35年前、街で出会った赤の他人に、出会い頭にシャンプーしていた男が今、学問にはまっています。今回KADOKAWAから出版させて頂きました僕の初の書き下ろし本のタイトルにもつけた「想定外を楽しむ方法」を、まさしく、今実践しています。

 また皆さんとお話出来る日を楽しみにしております。今後とも、よろしくお願いします。

 

 

 

著者紹介
1961年京都市生まれ。関西大学在学中、アルバイトで出演したテレビ番組で、「計算された演出より、偶然に起こる面白さの方が、可能性が広がるのではないか」と一般人を巻き込む新しい手法を考案。以後、どこのプロダクションにも所属せず、フリーランスとして活躍。歩いていて偶然に出会った人達との会話だけで構成された福井テレビ「俵太の達者でござる」がフジテレビ「料理の鉄人」を破り日本民間放送連盟賞、最優秀賞を受賞し、現在の街ブラ番組の礎を築いた。現在は関西大学や和歌山大学で教鞭をとるかたわら、書動家「俵越山」としても活動している。京大変人講座のナビゲーターも務める。