第3回「世界をどっちから見るの?」―ドキュメンタリー制作現場から見た研究者―

田辺陽一
NHK札幌放送局 ディレクター

 私は、これまで20数年間、テレビ番組の制作を続けてきたディレクターです。仕事柄、取材を通して、様々な研究者たちとお付き合いしてきましたが、ここでは、その経験の中から、いくつか印象的だったエピソードをご紹介しましょう。

 ぜひ最初にご紹介したいのは、20年ほど前、中学生向け教育番組を制作する中で出会った研究者。みなさんご存じ、現在の京都大学総長、当時は霊長類研究所の助手だった山極壽一さんです。彼の研究の原点となった屋久島で、一緒にサルの群れを追いながら、インタビューをさせて頂きました。山極さんと言えばゴリラの研究ですが、印象に残っているのは「ゴリラを知ることで人間を知りたい」とおっしゃっていたことです。私たちは人間の側からゴリラを見ますが、山極さんはゴリラの側から人間を見ていました。駆け出しのディレクターだった私は「研究者って変わったことを考えるもんだなぁ」と思ったものでした。

 去年、その山極さんの言葉を改めて思い出す出来事がありました。植物の繁殖戦略をテーマにした取材で、分子生物学者の福岡伸一さん(編集注:現青山学院大学教授)にお話を伺った時のこと。福岡さんは「人間は逆立ちした植物だ」とおっしゃいました。これには前提となるエピソードがあって、古代ギリシャの哲学者・アリストテレスが「植物は逆立ちした人間だ」という言葉を残しています。植物は、生殖器にあたる花が体の上部にあり、栄養を摂取する口にあたる根が下部にあるため「逆立ちした人間」というワケです。

 これに対し、福岡さんが、人間こそ逆立ちした植物だと反論したのは、そもそも地球の生命史の中では、人間よりも植物の方が、はるかに長い時間を生き抜いてきた大先輩だからです。研究を通じ、進化の過程で時間が持つ意味の大きさを痛感していた福岡さんは、ちょうど山極さんと同じように、視点をひっくり返し、植物側から人間を見たのです。

 きっと、何かを研究するということの醍醐味は、こうやって新たな視点を得ることにあるのでしょう。既存のステレオタイプな価値観にとらわれることなく、物事の本質を照射する。そこにワクワクして、没頭してゆくものなのでしょう。

 さらに、もう一つおもしろいのは、新たな視点を見いだす手法には、驚くほどのバリエーションがあるということです。私は元々、自然番組やエネルギー関連の番組など、理系の取材が必要な番組を作ることが多かったのですが、5年ほど前、初めて考古学に関する番組を作るチャンスがありました。この時、北海道の先史時代についての論文を読んでいて、びっくりするフレーズがありました。この論文は、既知の発掘資料の意味を読み解く上で、挑戦的な新たな解釈を記したものだったのですが、結論の部分に「~と考えて矛盾しない」とあったのです。これは、私なりに翻訳するなら「~と考えても、否定できる証拠なんてないからOKでしょ」という主張でした。

 学問の場で、こんな論理展開が許されるのでしょうか。著者は、創造力たくましく大胆な仮説を展開した上で、肝心の立証に関わる部分を論理的ジャンプで飛び越え、居直っているように思えました。

 「この論文を資料として信用して良いのか」私は、番組の実質的なブレーンだった考古学者、瀬川拓郎さん(編集注:現旭川市博物館館長)に、相談してみました。すると、彼が教えてくれたのは「考古学は、そういう学問だよ」ということでした。確かに、過去の発掘資料と矛盾しないなら、どんな新説だって、可能性の一つとしては、あり得ます。さらに、一見して突飛な新説でも、研究者仲間からの支持を集めることに成功すれば、時を経ずして定説に変わることが珍しくありません。もちろん、新たな発掘が行われて、矛盾する物証が見つかれば、この「定説」が瞬時に覆ることもあるのですが、それでも良いのです。新たな視点を示すことには、それほどの価値があるのです。

 改めて考えてみると、こうした論理的ジャンプは、考古学に限らず、時として理系の研究でも必要なものなのでしょう。世の中は、まだまだ分からないことだらけ。突飛な新説なくして、めざましいブレイクスルーは生まれないに違いありません。

 個性的な研究者たちがバリエーションに富んだ手法を駆使して提示してくれる新たな視点と、その先に広がる世界。これからも、スリリングな取材を楽しみにしていきたいものです。

著者紹介
NHK札幌放送局 番組制作チーフディレクター。1995年にNHK入局。ディレクターとして数々のドキュメンタリー番組を制作。主な番組に「地球・ふしぎ大自然『大都会にアユ百万匹』」「ダーウィンが来た!『タカが魚に一直線!』」「雪の魔法」「星野道夫 没後20年“旅をする本”の物語」「天空のお花畑 大雪山」など。