第4回 翻訳から見る研究

戸田 ディラン ルアーズ
フリーランス和英翻訳者

 私は、学生として長年お世話になった「大学」を離れてしばらくになるが、今でも翻訳者という立場で、日本の学術機関、そして研究者の方々と日々関わらせて頂いている。そんな一翻訳者として、翻訳と研究との関係について思うところを述べたい。

 まず簡単に、私が翻訳者となった経緯を説明したい。アメリカにて大学を卒業後、2009年に来日し、日本語学校や大学院の研究生を経て、2014年に仏教学の修士号を所得した。在学中、博士課程に進学して研究を継続するかどうかを迷っていた頃、アルバイトとして先生方の論文などを英訳させていただく機会があった。当時は学生という不安定な身分で居続けることへの心配もあり、進学ではなくフリーランス翻訳という仕事に挑戦することにした。現在、学術論文などの和文英訳をフルタイムで行っており、人文学系全般、特に近代日本仏教史を専門に手がけている。

 仕事として翻訳を始めてから考えさせられたのは、研究と翻訳の違い。当初は翻訳という営みに少し空しさを感じていた。実際、とあるアメリカ人研究者の友人には「翻訳はお金のために学者としての魂を売る行為だ」とまで言われたことがあるが、新米翻訳者として反発を覚える反面、内心そうかもしれないとも思っていた。研究者は新しいものを生み出すのに対し、翻訳者は他人が創ったものを異なる言語に書き換えているだけで主体性がないと感じたからだ。幸いなことに、翻訳者として経験を積むにつれ、翻訳という業の深みを少しずつ理解し、ともすると機械的にも見える作業の中に、ある種の創造性を見出すことができるようになった。

 先ほど研究と翻訳の違いについて触れたが、日本の学術界における和英翻訳者の役割とは何であろうか。近年大学の「国際化」が掲げられ、英語での研究活動が重要視される背景もあってか、国際学会や海外出版用の原稿の翻訳依頼をいただくことが多いが、一方で、英語で書かれた原稿の校閲を手がけることもある。つまり、言い換えると、主に日本語で学術活動をする研究者は、英語で研究成果を発表する場面において、「日本語で書いて翻訳者に依頼する」か「最初から英語で書く」かの選択を迫られるということである。このような状況のなか、研究者は翻訳にかけてしまえば言いたいことがきちんと伝わるか心配である反面、自ら英語で執筆するだけの英語力があるか、などのジレンマに直面することも少なくないと推察する。

 そこで、この場を借りて、英文校閲を副業としている和英翻訳者としての経験からアドバイスを差し上げたい。結論から述べると、日本の研究者の大半にとって英語で論文を執筆することはメリットもあるがデメリットも大きいのではないかというのが私の個人的な意見である。語弊があるかもしれないが、これは、「日本人は英語が苦手」といった陳腐な話でもなければ(特に研究者には英語が堪能な方が多い)、アドバイスのふりをしながら翻訳業の商売繁盛を狙う私の狡猾なビジネス戦略としての意見でもない。なぜ日本の研究者が英語で論文を書かないほうがいいか。それは、非ネイティブである以上、学術分野という複雑な領域において外国語で高度なレベルで研究成果を論じられるようになるには、何年もかけて頻繁にその言語で繰り返し書くことが必要となるからである。しかし、それが可能な研究者は限られており、そのような鍛錬なしに自ら外国語で執筆すると、研究成果を適切に表現することができず、ひいてはその研究者の業績に有害な影響を与えてしまう可能性がある。「ネイティブにチェックを頼んだらいい」と考える方は多いかもしれないが、そもそも英語で表現できなかった内容が校閲にかけたからといって表現されることはない。英語圏での長期的な研究活動を目指す人などを除き、多くの日本の研究者は日本語で正確に研究成果を表現し、それを翻訳するほうが研究業績においてメリットが大きいだろう。そのため、是非和英翻訳者を頼りにしていただければ幸いである。

 ただし、翻訳というプロセスは完璧ではない。時に翻訳者が原文の内容を誤解してしまうこともあるため、翻訳した文章はチェッカーあるいは筆者によるチェックが必要となる。そして、和英翻訳業界全体の問題として、翻訳の質を改善する余地は大いにあると感じている。当たり前のことではあるが、和文を英文にする時、言葉を置き換えるだけではなく、その主張を異なる「言説文化」において翻訳しなければならない。例を挙げると、まず、英語においては言いたいことを最初に書き、その後にそれを補強する諸事実について述べるというのが一般的であるが、日本語の場合その順番が逆であるため、翻訳者は文章の順番を変える必要がある。そして、表現の強さにも違いがある。周知のように、日本語は「といえる」「と思われる」などのような間接的表現を好むのだが、英訳の際はそれらを強めの表現に変えて、アイディアの関連性をより明確にするなどの表現の調整が求められる。私自身を含め和英翻訳者は、このような日本語の論じ方の特徴を理解し、それを和英翻訳でどう処理するかという技を磨く必要がある。

 以上、学術和英翻訳者という立場から、研究における和英翻訳の役割と位置づけ、また日本語の論じ方の特徴とその翻訳処理について、持論ではあったが簡単に述べさせていただいた。今後も和英翻訳がうまく活用されることで、より多くの日本語での研究成果が英語圏に広まることを願っている。

著者紹介
アメリカ・ニューヨーク州生まれ。フリーランス和英翻訳者。大学卒業後来日し、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター(横浜市)上級日本語プログラムを経て、2014年大谷大学大学院文学研究科修士課程(仏教学専攻)を修了。仏教学に興味を持つ前は音大でジャズ・サックスを専攻していた。趣味は日本酒とロードバイク。