第1回「一度は訪ねてみたいところ」-ミャンマーから見た京都大学-

田中 耕司
京都大学名誉教授、国際協力機構(JICA)長期専門家

 京都大学を定年退職して7年が経った。退職後の5年間は、白眉プロジェクトや学術研究支援室の運営を任され、京都大学にお世話になった。その務めも終わって、2015年11月からミャンマーにあるイエジン農業大学という単科大学で国際協力機構(JICA)の技術協力プロジェクトに携わっている。教員の教育・研究能力の向上を目指す人的資源開発プロジェクトである。

 馬齢を重ねると月日の経つのが一層早く感じられるせいか、あるいはこの1年余りの外国暮らしのせいか、京都大学との縁もずいぶん薄らいできたと思っていた矢先に、古巣の学術研究支援室から「京大新刊情報ポータル」を開くのでエッセイを書いてほしいというメールが飛び込んできた。社会からみて大学というのはどういう期待を背負っているのか、そもそも社会にとって大学とは何かについて考えてほしい、というようなことが書いてあった。そんな大きなテーマでは書けないと思いつつ、「いまミャンマーにおられるのでそこから見た大学像なども歓迎です」という言葉に釣られてついつい引き受けてしまった。

 ということで、大学の役割について書かねばならないが、まずは「そこから見た」という誘いの言葉に乗っかって、いまいるイエジン農業大学と京都大学との比較を試みてみよう。イエジン農業大学はミャンマー国内でただ一つの国立の農業大学で、1924年の創立以来、農業分野に有為の人材を送り出している名門校である。京都大学については言うまでもない。日本国内で有数の歴史を誇り、世界ランキングでもトップ100に入る実力校である。

 イエジン農業大学のランキングはというと、ミャンマー国内ではトップ10の中位にランクされているものの(*)、世界ランキングでは、あるデータでは1万5千位くらい、別のデータでは2万5千位くらいという数字が出ている。大学ランキングが必ずしも社会の要請と一致するとは思わないし、1万台などというランキングにどんな意味があるのか分からないが、数字は数字であって、大学執行部がその数字を気にするのはどこも同じである。

 これほどの違いがあるけれど、イエジン農業大学はまったく世界に知られていない大学かというとそうでもない。とくに農学分野では、ミャンマーを代表する大学として、欧米諸国でもよく知られている。京都大学には、この大学をカウンターパート機関として共同研究や現地調査を行っている教員も少なからずいて、こちらからは数名の教員が留学生として農学研究科などに在籍している。

 ミャンマーの全国に設置されている総合大学には農学部がなく、イエジン農業大学は国内唯一の農業分野の高等教育機関なので、ミャンマーでの農業や農村開発に関わる研究や現地での調査となると、どうしてもこの大学のリソースを頼りにしなければならなくなる。そのため、日本のみならず各国の大学からの訪問や協力要請、教員の短期招聘や留学支援、あるいは交流協定の締結など、さまざまな交流が行われている。民主政府へ移行したお蔭でこうした交流がますます盛んになってきていて、ミャンマーで農業や農村に関連した研究や協力事業を行おうとするなら、必ず「一度は訪ねなければならない」大学なのである。

 京都大学はどうだろう。イエジン農業大学と比較すれば、国内唯一の大学ではないので必ず「訪ねなければならない」大学というわけでもない。それでも、学部・研究科・研究所・センターなど、どの部局でも活発な交流が行われ、少なからぬ部局は海外の研究者にとって「一度は訪ねてみたいところ」となっている。

 退職前に在職していた東南アジア研究所(現東南アジア地域研究研究所)では、東南アジアを研究する世界の研究者が「一度は訪ねてみたい」と思うような研究所にしようという意気込みがあった。研究者が訪ねてみたいと思う理由はさまざまであるが、そこへ行けば、有意義な議論ができる研究者がいる、入手困難な資料や文献が揃っている、そして学びたい技術がある。言い換えれば、人とモノがあってこそ彼らが訪ねてきてくれるのである。大学の魅力は、誰もが「一度は訪ねてみたい」と思うような資産をどれほど多く持っているかにかかっていると言ってよい。京都大学は、たしかにまだその魅力を保っているように思われる。

 しかし、ひるがえってイエジン農業大学を見てみると、そういう魅力は残念ながら持ち合わせていないようである。長年の大学に対する圧政のせいで、人材が育っておらず、しかも教育施設や研究施設への投資が行われてこなかったために、「一度は訪ねてみたい」大学にはなっていないのである。今のところは、その唯一性のために、「一度は訪ねなければならない」大学ではあるが、遠からぬ将来には、人やモノを求めて研究者が訪ねてくるような大学になってほしいものである。

 京都大学の研究者は、「京大新刊情報ポータル」というサイトができるほど、たくさんの研究成果を公表している。そして、その中には、京大を訪ねて著者の話を聞いてみようと読者に思わせるような作品も登場してくるにちがいない。そういう努力が続いているからこそ、京都大学は「一度は訪ねてみたいところ」という位置を保っているのだと思う。このポータルにそんな作品がたくさん紹介されることを願っている。そして、もちろん、このポータルにたくさんの人がアクセスしてくれることを。

イエジン農業大学実験圃場でのドローンのテスト飛行。
日本からの短期専門家による地理情報学を農学研究に応用しようとする研修のひとコマ(2016年11月20日)。

 

*編集注:2015年3月時点においてミャンマーの大学数は169校である。日本学術振興会バンコク研究連絡センター. 2015.「JSPS カントリーレポート平成26年度版 ミャンマー国の高等教育基礎事情」, <http://jsps-th.org/letter/CR_myammar_FY2014.pdf > 2017年4月6日アクセス.

 

 

著者紹介
田中耕司
京都大学名誉教授。 京都大学では東南アジア研究所(現東南アジア地域研究研究所)所長、地域研究統合情報センター(現東南アジア地域研究研究所)センター長、白眉センター長、学術研究支援室室長等を歴任し、2015年 11 月から国際協力機構(JICA)の技術協力プロジェクト・チーフアドバイザーに就任。研究者時代には、アジアの農業を研究対象とし、日本の農業技術史、東南アジアの農業体系、アジア稲作文化論、インドネシア・スラウェシ地域研究(フロンティア社会論)、インドネシアや東南アジア大陸山地部における生態資源の利用と管理に関する問題などに取り組む。趣味はバスケットボール。ミャンマーでも学生たちを指導している。