教育福祉の社会学 : 「包摂と排除」を超えるメタ理論

教育福祉の社会学

「包摂と排除」を超えるメタ理論

単著
教育
政治・行政
社会
倉石一郎(人間・環境学研究科 / 著者)
Ichiro Kuraishi (人間・環境学研究科, 著者)
出版年月
図書体裁
A5判
出版社
明石書店
ISBN
9784750352206
定価(税抜)
2,300
頁数
212
本文言語
日本語

内容紹介

本書は、教育を通じて貧困や排除の克服をはかる「教育福祉」の歴史・実践を検証し、その理論を社会学的に再構築していくものである。教育現場をとりあげた映像作品も参照しつつ、〈包摂と排除〉の二元論を超えるメタ理論の構築をめざす。

目次

序章 出発点――〈包摂と排除〉の同心円モデル
 1.本書のはじめに
 2.同心円モデルが帰結する二つのアプローチ――社会移動モデルと純包摂モデル
 3.「練習問題」としてのビジティング・ティーチャー、福祉教員
 4.本書の構成

第1章 包摂と排除の「入れ子構造」論――迷宮に分け入るための一歩
 1.本章のはじめに――同心円モデルの何が問題なのか
 2.在日朝鮮人教育にみる「入れ子構造」
 3.障害児の就学猶予・就学免除制度にみる入れ子構造
 4.中間考察
 5.「福祉教員」の事例にみる包摂と排除
 6.本章のおわりに

第2章 ルーマンから学ぶ「包摂その一歩手前」の大切さ――「平凡でないマシーン」とその平凡化の視座から
 1.本章のはじめに
 2.機能分化・包摂/排除・教育システム
 3.内部転写(re-entry)が可能にする「平凡でないマシーン」の平凡化
 4.シティズンシップ・就学義務制度・「市民に非ざる者」の排除
 5.〈差別=選別の教育〉という言説の陥穽
 6.スーパーコードとしての包摂/排除
 7.本章のおわりに

第3章 「包摂の一歩手前」を可視化した貴重な記録――在日朝鮮人高校生を描いたあるビデオドキュメンタリーから
 1.本章のはじめに
 2.この作品とわたし自身、あるいは本章の叙述法
 3.作品のオープニング――誰が至高のナレーターなのか?
 4.登場人物たちと出会いそこねる―――1995年12月・神戸
 5.見られることなく見続ける「第二のカメラ」
 6.ジャーナリストの矩を超える――そのとき何が起こったか?
 7.舞台の高校を訪ね、「先生」と会う――1996年9月
 8.心臓部=「教室」へ
 9.ひょんなことから始まった「同窓生たち」とのつきあい――1996年冬~1997年夏
 10.作品の後半部――「親密性深化の物語」への傾斜
 11.再び、不同意の「映り込み」
 12.裏切られた予定調和
 13.後日譚――1998年
 14.後日譚2――1997年秋~1999年春
 15.本章のおわりに

第4章 創発的包摂の教育小史――「必要の政治」を主題とする三つの事例から
 1.本章のはじめに
 2.創発的包摂とは何か
 3.議論の補助線――「必要の政治」と「20世紀シティズンシップ」
 4.教科書無償闘争(1961~63年)
 5.金井康治君闘争(1977~1983年)
 6.「民受連」の挑戦(1995年頃~2003年)
 7.本章のおわりに

補章 〈宿題〉からみた包摂と排除――教育総動員体制論序説
 1.本章のはじめに
 2.〈宿題〉への歴史的パースペクティブ
 3.解放教育運動における〈宿題〉――高知県の闘争を中心に
 4.「効果のある宿題」ともう一つの「自己完結不可能性」――大阪・松原の事例から
 5.本章のおわりに

第5章 創発的包摂を生きる主体の肖像――リー・ダニエルズ『プレシャス』を観る
 1.本章のはじめに
 2.奇跡としての包摂――本作品の基本情報と背景
 3.プレシャス一家の暮らしぶり・親子関係とその変容
 4.ワイス氏――「成長する」狭義の包摂の忠実な担い手
 5.レイン先生――創発的包摂の支え手として
 6.本章のおわりに

第6章 公私融合の混迷状況で読み解く〈包摂と排除〉――教育基本法改定前・後の比較から
 1.本章のはじめに
 2.前提となる議論
 3.20世紀後半のリベラリズム秩序と戦後教育学という「知恵」
 4.21世紀の「教育福祉」が抱え込んだ不幸な条件
 5.本章のおわりに――「不幸な状況」を脱する道は?

終章 蟷螂の斧をふりかざす――コロナ禍のもとでの思考停止に抗う
 1.創発的包摂への逆風?――専門家と非専門家の関係性
 2.「社会保障モデルの時代」への逆行か
 3.労働力の商品化、然らずんば死なのか?
 4.本書のおわりに――あとがきに代えて

 参考文献
 初出一覧
 索引

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