分離派建築会 : 日本のモダニズム建築誕生
目次
はじめに [田路貴浩]
I Secessionから分離派建築会へ
分離派の誕生——ミュンヘン、ベルリンそしてウィーン[池田祐子]
オットー・ヴァーグナーの時代の建築芸術——被覆とラウム、そして、生活へ[河田智成]
分離派と日本 分光と鏡像——雑誌『青鞜』創刊号表紙絵をきっかけに[水沢 勉]
青島とドイツ表現主義[長谷川 章]
II 結成、または建築「創作」の誕生
分離派建築会と建築「創作」の誕生[田路貴浩]
一九一〇年前後の美術における「創作」意識[南明日香]
分離派建築会の「建築・芸術の思想」とその思想史的背景——和辻哲郎との照応関係から[飯嶋裕治]
分離派への道程——世代間の制作理念からの再考─足立裕司
III 〈構造〉対〈意匠〉?
日本における初期鉄筋コンクリート建築の諸問題[堀 勇良]
分離派登場の背景としての東京帝国大学[加藤耕一]
東京帝国大学における建築教育の再読——学生時代における建築受容の様相[角田真弓]
「構造」と「意匠」および建築家の職能の分離[宮谷慶一]
IV 大衆消費社会のなかでの「創作」
ゼツェッシオン(分離派)の導入[河東義之]
博覧会における建築様式——分離派建築会の前後[天内大樹]
「文化住宅」にみる住宅デザインの多様性の意味[内田青蔵]
大大阪モダニズムと分離派——街に浸透する美意識[橋爪節也]
V 建築における「田園的なもの」
「田園」をめぐる思想の見取り図─杉山真魚
瀧澤眞弓と中世主義——《日本農民美術研究所》の設計を通して─菊地 潤
堀口捨己の田園へのまなざし─田路貴浩
堀口捨己と民藝——常滑陶芸研究所と民藝館を糸口に─鞍田 崇
VI 彫刻へのまなざし
大正〜昭和前期の彫刻家にとっての建築[田中修二]
「リズム」から構想された建築造形[天内大樹]
山田守の創作法——東京中央電信局および聖橋の放物線の出現とその意味[大宮司勝弘]
石本喜久治の渡欧と創作——あるいは二〇世紀芸術と建築の接近[菊地 潤]
VII 「構成」への転回
創作活動の展開[蔵田周忠]
分離派建築会から型而工房へ[岡山理香]
創造・構成・実践——山口文象と創宇社建築会の意識について[佐藤美弥]
「新しき社会技術」の獲得へ向けて——山口文象の渡独とその背景をめぐって[田所辰之助]
表現から構成へ——川喜田煉七郎におけるリアリティの行方[梅宮弘光]
VIII 散開、そして「様式」再考
古典建築の探究から様式の超克へ——森田慶一のウィトルウィウス論をとおして[市川秀和]
オットー・ワグナー十年祭と岸田日出刀の様式再考——「歴史的構造派」という視座をめぐって [勝原基貴]
堀口捨己による様式への問いと茶室への遡行 [近藤康子]
自由無礙なる様式の発見——板垣鷹穂・堀口捨己・西川一草亭 [本橋 仁]
おわりに
分離派建築会以後——「創作主体」の行方[田所辰之助]
あとがき
索引